言葉の力|ゲーテ『急がずに、だが休まずに。』——焦りと歩みを、同じにしない

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「急がずに、だが休まずに。」

ゲーテ。引用表記:東進の名言紹介に掲載された日本語訳。

誰かの成果を見たあと、急に自分の予定を増やしたくなることがあります。

もっと勉強しよう。
もっと仕事を進めよう。
今日こそ、遅れを取り戻そう。

それまで自分なりに歩いていたはずなのに、いつの間にか「追いつくための一日」に変わっている。

そんなとき、ゲーテの言葉として紹介されている「急がずに、だが休まずに。」を読むと、焦ることと進むことは違うのだと考えさせられます。

「急がずに」と「休まずに」の間にあるもの

この言葉には、一見すると反対の方向を向いた二つの表現があります。

急がない。
けれど、歩みは止めない。

私には、その間に「自分の速度を持つ」という考え方があるように感じられます。

ここから先は、私なりの解釈です。

急ぐとき、私たちは、ときどき自分の足元よりも、遠くにいる誰かを見ています。

あの人はもうできている。
同じ時期に始めたのに、自分はまだここにいる。
このままでは間に合わない。

もちろん、本当に期限が迫っていることもあるでしょう。

でも、誰かとの比較から生まれた焦りまで、すべて今日の予定に入れなくてもいいのだと思います。

今の自分に必要なことと、焦った勢いで増やしたこと。

その二つを分けるだけでも、今日やることは変わりそうです。

遅い歩みまで、失敗と呼ばない

すぐに結果が見えないと、続けていることまで頼りなく感じられます。

少しずつ読んでいる本。
何度も直している文章。
繰り返し練習していること。

「これだけやって、まだこの程度なのか」

そう思うと、もっと速く、もっと多く、と自分に求めたくなります。

でも、私は、速さだけでは見えない変化も確かめたいと思います。

以前は意味がわからなかった一文を、今日は読めた。

昨日まで気づかなかった不自然な表現を、自分で直せた。

できなかった理由を、少し具体的に言えるようになった。

まだ目標に届いていなくても、途中にある変化まで、なかったことにはしない。

遅いという評価だけで、今の取り組みを片づけたくないのです。

休息を禁じる言葉にはしない

一方で、「休まずに」という部分は、疲れている人には厳しく響くかもしれません。

だから、この言葉を、そのまま毎日の義務にしたくはありません。

私なりには、休息を取らないことではなく、休んだあとに戻れる道を残しておくことへと引き寄せて読みたいと思います。これは原意を断定するものではなく、暮らしの中での私自身の受け止め方です。

今日はここまで、と区切る。

次に取りかかる場所を、一行だけ書いておく。

今の方法が合わなければ、続け方そのものを見直す。

休むことと、もう二度と取り組まないことは同じではありません。

一日空いたからといって、それまでの時間が消えるわけでもないでしょう。

続けることを、「一度も途切れないこと」だけにしないでおきたいと思います。

今日の一歩を、自分で選ぶ

この言葉を読んで、私が今日考えたいのは、「どれだけ頑張れるか」ではありません。

「今の自分は、何を一つ進めたいのか」です。

誰かに追いつくための予定ではなく、自分が必要だと思うことを選ぶ。

本を一ページ読む。
気になっていた連絡を返す。
書きかけの文章の、最初の一文を整える。

それ以上できる日もあれば、そこで終わる日もあるでしょう。

焦りは、早く進めと急かします。

けれど、歩みは、次に足を置く場所を選ぶことから始まります。

今日の速度を、誰かの成果に決めさせない。

急がずに、自分の一歩を選ぶ。

そんなふうに、この言葉を持っておきたいものです。

言葉の力|タモリ『やる気のある者は去れ。』——頑張りすぎて、見えなくなるもの

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「やる気のある者は去れ。」

タモリ。引用出典:『脱力名言。』の内容を紹介したダイヤモンド・オンラインの記事。

「もっと頑張らなければ」

そう思うとき、頭の中には、たいてい一つの目標があります。

成果を出したい。
認めてもらいたい。
期待に応えたい。

そのために準備を重ねて、気を張って、失敗しないように先回りする。

ところが、一生懸命になるほど、周りの声が聞こえなくなることがあります。

そんなときに読むと、少し驚くのが、タモリさんの「やる気のある者は去れ。」という言葉です。

やる気があるのに、なぜ「去れ」なのか

ダイヤモンド・オンラインの記事では、この言葉に関連して、タモリさんが、やる気のある人は「中心しか見ていない」と語ったことを紹介しています。お笑いでは周辺から面白いものが始まるのに、そこを見落としてしまう、という指摘です。

ここから先は、私なりの受け止め方です。

この言葉は、努力する人を否定するためではなく、力が入りすぎたときの視野の狭さを問いかけているように感じます。

「こうしなければ」と決めた瞬間に、それ以外のものが見えなくなる。

予定どおりに話そうとして、相手の表情を見落とす。
自分の考えを伝えようとして、相手の言葉を最後まで聞けなくなる。
役に立とうとして、頼まれていないことまで引き受ける。

どれも、悪気があるわけではありません。

むしろ、よくしたいと思っている。

それでも、その熱心さが、目の前の人や状況から少し離れてしまうことはあるのでしょう。

力を抜くことは、雑にすることではない

「力を抜く」と聞くと、手を抜くことのように感じるかもしれません。

でも、私は、その二つを分けて考えたいと思います。

手を抜くのは、必要なことを省いてしまうこと。

力を抜くのは、必要以上に自分を固くしないこと。

準備はする。
約束は守る。
わからないことは確かめる。

そのうえで、「絶対にうまくやらなければ」という気持ちを少し緩める。

すると、予定にはなかった話を聞く余地や、間違いを認めてやり直す余地が残ります。

立派に見せようとしなくても、相手の話をきちんと聞ける。

完璧に答えられなくても、「それは知らなかった」と言える。

そういう余白も、人と向き合うときには大切にしたいものです。

自分の頑張りより、目の前にあるものを見る

何かがうまくいかないと、私は、頑張る量を増やすことばかり考えてしまいそうです。

もっと準備する。
もっと説明する。
もっと自分が動く。

でも、その前に、一度見直せることもあります。

相手は、今どんな反応をしているのか。
本当に求められているのは何なのか。
自分だけで話を進めていないか。

頑張りを増やすのではなく、見ている範囲を広げる。

この言葉の面白さは、「やる気」というよいものに見える言葉を、いったん疑わせてくれるところにあると思います。

今日、人とのやり取りで少し力が入っているなら、すぐに答えを出さず、相手の言葉をもう一つ聞いてみる。

何かを証明しようとする前に、目の前で起きていることを見る。

自分の頑張りでいっぱいだった場所に、誰かが入れる余白を残す。

力を抜いたからこそ、受け取れるものもあるのかもしれません。

言葉の力|相田みつを『しあわせは いつも自分のこころがきめる』

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「しあわせは いつも自分のこころがきめる」

相田みつを。引用表記:光華学園の紹介記事。

一日が終わるころ、できなかったことばかり思い出す日があります。

返せなかった連絡。
進まなかった片づけ。
思うようにいかなかった仕事。

朝には、もう少しいろいろできるつもりだったのに。

そんなふうに一日を振り返ると、何も残らなかったような気持ちになることがあります。

相田みつをさんのこの言葉は、私には、今日を見る角度を少し変えるきっかけになります。

「幸せに思わなければ」と、自分を追い込まない

「しあわせは自分のこころがきめる」

この言葉を、つらいことまで気の持ちようで片づけるためには使いたくありません。

悲しい日は、悲しい。
疲れているときは、疲れている。

苦しい気持ちを無理に明るい言葉へ変えなくてもいいと思います。

ここから先は、私なりの受け止め方です。

この言葉は、「幸せを感じられない自分が悪い」と責めるものではなく、自分が何を心地よいと感じるのかを、他人任せにしないための言葉として持っておきたい。

誰かにとって充実した一日が、自分にとっても同じとは限りません。

たくさんの予定をこなすより、静かに食事ができたことにほっとする日もある。

遠くへ出かけるより、家でゆっくり過ごせたことがうれしい日もある。

自分にとってのよさは、自分の暮らしの中で確かめていいのだと思います。

今日の中に、少し楽だった時間はあったか

大きな幸せを探そうとすると、何も思いつかないことがあります。

そんなとき、私は問いを小さくしてみたいと思います。

「今日は、少しほっとした時間があっただろうか」

温かい飲み物を飲んだとき。
用事が一つ終わったとき。
誰かと短い言葉を交わしたとき。

その時間があったからといって、一日の大変さが消えるわけではありません。

それでも、嫌なことだけで今日のすべてを塗りつぶさずに済むかもしれません。

うまくいかなかったことがあった。
でも、少し楽だった時間もあった。

両方が本当でいいのだと思います。

何も見つからない日は、休むことから

もちろん、ほっとした時間さえ思い出せない日もあるでしょう。

そんな日にまで、よかったことを無理に数えなくてもいい。

「今日はしんどかった」

そう認めて、一日を終えることも、自分を大切にする選び方だと思います。

今夜できることがあるなら、明日の自分を少し楽にすることを一つだけ。

急がない用事は明日に回す。
気になっていたことを紙に書いて、いったん手放す。
今日はここまで、と区切りをつける。

幸せという言葉が遠く感じられるなら、まずは「少し楽」を選ぶだけでもいい。

今日が理想どおりではなかったとしても、その一日を過ごした自分まで否定しない。

誰かの基準で立派な一日ではなくても、自分がほっとできる時間を、暮らしの中に残していきたいものです。

言葉の力|夏目漱石『汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし』

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「汝の現今に播く種は、やがて汝の収むべき未来となって現わるべし」

夏目漱石、1901年3月21日の日記より(サライ掲載)

未来のことを考えると、つい「いつか」に期待してしまいます。

いつか時間ができたら。いつか余裕ができたら。いつか自信がついたら。

そのときには今より上手にできる気がする。でも、未来の自分が何を受け取るのかは、今日の自分とも無関係ではありません。

夏目漱石のこの言葉は、遠くにある未来と、目の前にある今日をつないでくれます。

「今まく種」とは、何だろう

サライの記事は、この一文を漱石が1901年3月21日の日記に記した言葉として紹介しています。

今まいている種が、やがて自分の受け取る未来として現れる。私はこの比喩を、大きな努力だけでなく、普段の小さな選択にも重ねて考えたいと思います。

わからないことを一つ調べる。約束を守る。相手の話を最後まで聞く。気になっていた仕事に手をつける。

その場では目立たなくても、後の自分が使える知識や、人との関係につながるかもしれません。

未来のための行動は、特別な日にだけするものではない。何気ない今日にも、種をまく場面はあるのでしょう。

芽が見えないからといって、無意味とは限らない

何かを始めると、すぐに結果を確かめたくなります。

勉強したのに、まだうまく答えられない。記事を書いたのに、思ったほど読まれない。丁寧に取り組んだのに、反応がない。

すると、「やっても意味がないのかな」と感じてしまう。

でも、種をまいたその日に収穫まで求めるのは、少し急ぎすぎかもしれません。見える結果の手前に、覚える時間、慣れる時間、伝わるまでの時間がある場合もあります。

これは漱石の発言の背景を断定するものではなく、言葉から私が考えた日常への重ね方です。

今日の結果だけで、今日の行動の価値を全部決めない。その余白があると、続け方を落ち着いて考えられそうです。

未来を、自分のせいだけにしない

一方で、この言葉を「今の結果はすべて過去の自分の責任だ」と読むのは避けたいと思います。

人生には、自分で選べない環境や、予想できない出来事があります。同じ努力でも、同じ結果になるとは限りません。

望む未来を必ず収穫できるという保証ではなく、自分に選べる行動を見つめる言葉として受け取りたいのです。

何をまくか。どんな手をかけるか。方法が合わなければ、どう変えるか。

全部を思いどおりにできなくても、今日の選択に少し関われる場所はあるかもしれません。

今日まく種は、大きくなくてもいい。読みたかった本を一ページ読む。誰かに感謝を伝える。明日の自分のために、一つ準備する。

言葉の力は、遠い目標を語るだけでなく、今日の小さな行動に意味を戻してくれるところにもあります。

未来を待つだけでなく、未来に渡すものを一つ用意する。

今の自分にできることから、静かに種をまいていきたいものです。

言葉の力|やなせたかし――元気じゃない日も、生きている。

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「生きているからかなしいんだ」

やなせたかし作詞『手のひらを太陽に』より(歌詞掲載:歌ネット)

「今日も笑顔で」「前向きに頑張ろう」

そんな言葉に励まされる日があります。一方で、ちょっとまぶしすぎる日もあります。

悪気がないのはわかっている。でも、今の自分にはその元気がない。明るい言葉に触れるほど、明るくなれない自分が取り残されたように感じる。

そんな日に、違う角度から届いてくるのが、今日の言葉です。

明るい歌に、悲しいという言葉がある

『手のひらを太陽に』は、やなせたかしさんが作詞し、いずみたくさんが作曲した歌。NHK「みんなのうた」では、1962年に初めて放送されました。

元気な歌という印象があるのに、歌詞には「かなしいんだ」とあります。

生きているから、楽しい。生きているから、うれしい。それだけではないところに、この言葉の深さを感じます。

PHPの紹介記事では、やなせさんが、つらさや痛さも生きている証であり、喜びより先に悲しみを置いた理由を語っています。

悲しさを、間違った感情として扱っていない。私はそこに、静かな優しさを感じます。

感情まで、きちんとしなくていい

仕事で失敗した。大切な人とうまく話せなかった。楽しみにしていた予定がなくなった。

そんなとき、出来事そのものに加えて、もう一つ自分を責めてしまうことがあります。

「いつまでも気にしている自分は弱い」「もっと前向きにならないと」

悲しいだけでもしんどいのに、悲しんでいる自分にまで注意をしてしまう。心の中に、ずいぶん厳しい上司を置いているものです。

でも、今日の言葉に照らして考えると、少し違う見方ができます。

大切だったから、悲しい。期待していたから、がっかりした。うまくやりたかったから、悔しい。

その感情の奥には、自分が何を大事にしていたのかが隠れているのかもしれません。

言葉は、急かさずに寄り添うこともできる

もちろん、悲しみに必ず意味を見つけなければならないわけではありません。つらい出来事を無理に「いい経験だった」とまとめる必要もないでしょう。

今日の言葉を、私は「悲しみに耐えなさい」という意味ではなく、悲しいままの自分を否定しなくていい、という言葉として受け取りたいと思います。

言葉の力は、人を奮い立たせることだけではありません。止まっている人の隣に座って、「今すぐ元気にならなくてもいい」と伝える力もある。

今日は笑えなかった。それでも、温かいものを飲んで、少し休んで、一日を終えていい。

笑顔ではない一日も、あなたが生きた一日です。

言葉の力|松下幸之助『素直な心とは、いいかえれば、とらわれない心である。』

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「素直な心とは、いいかえれば、とらわれない心である。」

松下幸之助『実践経営哲学』より(PHP研究所掲載)

「もっと素直になったら?」

そう言われると、少し身構えてしまうことがあります。反論しないこと。相手に合わせること。嫌でも、はいと答えること。

素直という言葉を、そんなふうに受け取っていた人もいるかもしれません。でも、松下幸之助さんが語る素直な心は、少し違います。

素直さは、従順さとは違う

PHP研究所は、松下さんのいう素直な心について、何でも受け入れる従順な心ではなく、偏見や私心にとらわれず、曇りのない心だと説明しています。

つまり、誰かの言うことを全部正しいとするのではなく、自分の思い込みまで一度脇に置いて、目の前の物事を見ようとすること。

私はそこに、柔らかさと同時に、強さも感じます。

相手を否定するのも、自分を否定するのも、すぐにはしない。まず確かめる。そのひと呼吸が、今日の言葉につながるのではないでしょうか。

「いつものあの人」で決めつけていないか

たとえば、職場で誰かから改善案をもらったとき。「でも、その人は現場をわかっていない」と、内容を聞く前に結論を出してしまう。

逆に、尊敬している人の意見なら、内容を確かめる前に「さすが」と思ってしまう。

私たちの頭の中には、意外と忙しい受付係がいるようです。話の中身より先に、相手の名前を見て通すかどうか決めている。

もちろん、これまでの経験も大切です。ただ、経験が役立つことと、いつも同じ判断でよいことは別でしょう。

「誰が言ったか」を少し離れて、「何を言っているか」を聞いてみる。すると、苦手な人の言葉にも、一つくらい使える部分があるかもしれません。

考えを変えるのは、負けではない

自分が間違っていたと気づくのは、あまり気持ちのいいものではありません。

さっきまで自信満々だったぶん、引っ込みがつかない。説明を足すほど、言い訳みたいになる。そんな経験は、誰にでも思い当たるのではないでしょうか。

でも、「なるほど、その見方もあるね」と言えたとき、失うものばかりではありません。自分一人では見えなかったものが、一つ増える。

素直な心とは、自分の考えを持たないことではなく、自分の考えを更新できること。私は、この言葉をそう受け取りたいと思います。

相手に合わせるためではなく、よりよく判断するために、心を少し開く。

今日、誰かの言葉に「いや、でも」と返したくなったら、その前に一度だけ、「そういう見方もあるのか」と考えてみる。

素直になることは、自分を小さくすることではない。見える世界を、少し広くすることかもしれません。

出典:PHP研究所「素直な心」、「素直な心」になること~松下幸之助『実践経営哲学』に学ぶ

言葉の力|イチロー『ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道。』

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「ちいさいことをかさねることが、とんでもないところに行くただひとつの道。」

イチロー(引用表記:ユンケル公式サイト)

大きな目標を立てると、気持ちまで大きくなります。

明日から毎日運動する。新しい勉強を始める。仕事でも、今までとは違う結果を出す。

ところが、実際に今日できることは、思っていたより小さい。本を数ページ読む。準備を一つ終える。文章を少し直す。

「こんなことで変わるのかな」。その疑問に向き合うとき、イチローさんの言葉を思い出したくなります。

大きな結果を、小さなことから考える

小さなことの積み重ねについての言葉は、2004年にメジャーリーグの年間安打記録を更新した後の記者会見で語られたものとして、東進の名言紹介でも取り上げられています。

注目したいのは、大きな結果を語る場面で、言葉の出発点が「ちいさいこと」になっているところです。

とんでもないところへ行くには、とんでもないことを一度すればいい。そんな近道ではなく、目の前の小さなことを重ねていく。

私はそこに、目標の大きさに圧倒されている人にも、手をつけられる場所があるという励ましを感じます。

積み重ねは、同じことの繰り返しだけではない

たとえば、毎日記事を書くとします。

昨日と同じように書くだけでなく、今日は冒頭を短くする。読みにくかった一文を直す。引用の出典を確かめる。

どれも、外から見れば小さな作業です。でも、一つずつ確かめて変えていくと、書くときに気づけることが増えていきます。

ここから先は、私なりのこの言葉の受け止め方です。積み重ねるとは、回数を増やすだけでなく、昨日の経験を今日の行動に残すことでもあるのではないでしょうか。

うまくできなかったことも、「次はこうしてみよう」と考えられたなら、ただ消えてしまう一日ではありません。

今日の一歩を、小ささだけで評価しない

もちろん、小さなことを続ければ、誰もが同じ結果にたどり着くわけではありません。環境や体調、選ぶ方法によっても、進み方は違います。

だから、この言葉を成功の保証や、休んではいけないという命令にはしたくありません。

むしろ、すぐに結果が見えないときに、今日できたことまで無価値と決めないための言葉として持っておきたいと思います。

一ページ読めた。一つ確認できた。一行書き始めた。

それだけで十分な日もあるでしょう。元気が戻った日に、また続きを重ねればいい。

言葉の力は、できないことを消すことではなく、できることに目を向け直させてくれるところにもあります。

「こんな小さなことしかできない」を、「この小さなことから始められる」に変える。

今日、とんでもない結果を出さなくてもいい。

未来につながる小さなことを、一つ重ねる。その一つを、自分で軽く扱わないようにしたいものです。