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「僕は左を向く、君は右を向いても差支ない」
夏目漱石「私の個人主義」より
前後では、他への影響に触れながら、自分にも他人にも自由を認めることが述べられています。
自分がよかったと思ったものを、相手はそうでもないと言う。
映画でも、休日の過ごし方でも、仕事の進め方でも。
ただ好みが違っただけなのに、少しだけ、自分まで否定されたような気がすることがあります。
「そうなんだ」と言いながら、心の中では小さな説明会が始まる。
いや、でも、ここがよくてね。
気づけば、感想を話していたはずが、説得に変わっているのです。
同じ感想でなくても、話は続けられる
漱石の文章にある「僕は左を向く、君は右を向いても差支ない」という表現を、日常の会話に重ねてみます。
ここからは私自身の受け止め方です。
同じものを好きになってもらえるとうれしい。
でも、それだけを会話の成功にしなくてもいいのでしょう。
「どのあたりが合わなかった?」
「そういう見方もあるんだね」
相手の感想を変えるためではなく、違う見方を知るために聞いてみる。
一致しないままでも、話が深くなることはあるはずです。
自分の好きを、説明しすぎなくてもいい
反対に、自分の好きなものを分かってもらえないときもあります。
そんなとき、相手が納得するまで、自分の好きを弁護し続けなくてもいい。
「私はここが好きなんだ」。
そこまで伝えて、いったん置くこともできます。
相手に同じ感想を求めないことは、自分の気持ちを引っ込めることとは違います。
自分の好きを大切にしながら、相手の違いも残しておく。その両方を持ちたいのです。
尊重することと、何でも受け入れることは別
もちろん、違いを認めることは、相手を傷つける行為まで、そのまま認めることではありません。
共同作業には約束も必要ですし、困ることには境界線を引いてよいと思います。
そのうえで、好みや考えが違うだけの場面まで、勝ち負けにしなくてもいい。
今日、誰かと意見が分かれたら、「違うんだな」のあとに、少し間を置いてみる。
すぐに説得しない。すぐに嫌われたと決めない。
同じ方向を向いていなくても、同じ場所で話せる。
そんな関係を、大切にしていきたいと思います。
引用・背景の出典:青空文庫:夏目漱石「私の個人主義」

