言葉の力|金子みすゞ「みんなちがって、みんないい。」——得意な人の隣で、自分を小さくしない

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「みんなちがって、みんないい。」

金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」より

誰かの得意なことを見ると、自分にないものが急に気になることがあります。

あの人は話がうまい。
仕事が速い。
初めての人とも、すぐ打ち解ける。

それに比べて自分は、と考え始めると、自分の長所だけが上手に隠れてしまう。

そんな日に、金子みすゞの「みんなちがって、みんないい。」を読み返したくなります。

詩には、空を飛ぶ小鳥、音を鳴らす鈴、そして「私」が登場します。それぞれにできることと、できないことが描かれています。

ここからは、その詩を日常に重ねた私自身の受け止め方です。

誰かの得意を、自分の欠点に変えない

話のうまい人を見て、「自分は話すのが遅い」と思う。

でも、その人のよさを認めることと、自分を悪く評価することは、本来別のはずです。

「説明がわかりやすいな」で止めてもいい。
「そのやり方は参考になるな」と受け取ってもいい。

相手を褒めるたびに、自分を一段下げなくてもかまいません。

誰かの得意が、自分の価値を減らすわけではない。そのことを、忘れずにいたいものです。

目立たない働き方も、確かにある

会議ですぐ意見を言える人もいれば、話を聞いたあとで、抜けていた点に気づく人もいます。

勢いよく始められる人もいれば、続けやすい形に整えるのが得意な人もいる。

目立つ場面が違えば、評価されやすさも変わるでしょう。

だから、自分を確かめるときは、「人前で目立てたか」だけでなく、「何を支えたか」も見てみたいと思います。

小さな確認をした。
相手の話を整理した。
次の人が困らないよう、ひと言残した。

そういう働きまで、なかったことにしなくていいのです。

違っていてよいことと、見直してよいこと

この言葉を、「何も変えなくていい」という意味に狭めたくはありません。

苦手なことを練習してもいいし、困っている習慣を直してもいい。

ただ、その出発点を「今の自分は駄目だから」にしなくてもいいのだと思います。

自分を否定しなくても、変わることはできます。

そして、他人との違いを大切にすることは、相手の困りごとを無視したり、傷つける行為をそのまま認めたりすることとも違います。

今日、誰かがまぶしく見えたら、その人のよさを一つ認める。

そのあとで、自分が今日できたことも一つ拾ってみる。

同じでないから、足りないのではない。

そんな見方を、机の隅に置く小さな言葉のように、持っておきたいと思います。

引用・詩の出典:長門市・金子みすゞ記念館 矢崎節夫館長コラム「私と小鳥と鈴と」

言葉の力|ヘレン・ケラー『一人でできることはわずかでも、一緒なら多くのことができる』(本記事訳)

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“Alone we can do so little; together we can do so much.”

一人でできることはわずかでも、一緒なら多くのことができる。(本記事での訳)

ヘレン・ケラー(米国盲人財団の引用集掲載)

「大丈夫です。一人でできます」

そう答えたあとで、こっそり困っていることがあります。本当は手伝ってほしい。でも、相手も忙しそうだし、できない人だと思われたくない。

その結果、仕事も家事も、頭の中の心配事も、自分一人の担当になってしまう。

今日の言葉は、そんな抱え込みに、別の見方をくれます。

「一緒に」は、能力を否定しない

米国盲人財団の引用集は、この一文を、ヘレン・ケラーとアン・サリヴァンの舞台出演用台本の言葉として紹介しています。

一人の限界を嘆くのではなく、誰かと力を合わせたときの可能性に目を向ける言葉。私はそこに、「全部自分でできることだけが立派なのではない」というメッセージを感じます。

自分にできることと、相手にできることは違います。その違いを持ち寄ることは、どちらかが劣っている証明にはならないでしょう。

むしろ、違うからこそ助け合える。そう考えると、頼むという行為の見え方も変わってきます。

頼む前から、断らないでいい

誰かにお願いしようとして、「きっと迷惑だろう」と引っ込める。相手がまだ何も言っていないのに、自分で自分の依頼を断ってしまう。

気遣いのつもりですが、相手がどう感じるかまで、こちらで決めているのかもしれません。

もちろん、頼めば必ず応じてもらえるわけではありません。相手には相手の事情があり、断る自由もあります。

だからこそ、「この部分だけ手伝ってもらえる?」「難しければ大丈夫」と、必要なことを具体的に伝える。相手に選んでもらえる形で、助けを求めてみる。

全部を預けるか、全部を抱えるか。その二択ではなく、一部分だけ一緒に考えるという道もありそうです。

助けてもらう側にも、できることがある

人に頼ったあと、「申し訳ない」とばかり言ってしまうことがあります。

でも、どこが助かったのかを言葉にして伝えることもできます。「確認してくれたので安心できた」「一緒に考えてもらえて整理できた」。

それは、お返しを急いで用意することとは違います。相手の働きかけを、ちゃんと受け取ったと伝えることです。

この言葉を、私は「人と一緒なら何でも解決する」という保証ではなく、一人で抱える以外の選択肢を忘れないための言葉として受け取りたいと思います。

今日、どうしても進まないことがあったら、自分の能力を責める前に考えてみる。

これは、本当に一人でやる必要があるのだろうか。

「手伝って」と言う一言が、誰かと一緒に進むための、最初の一歩になるかもしれません。

言葉の力|やなせたかし――元気じゃない日も、生きている。

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「生きているからかなしいんだ」

やなせたかし作詞『手のひらを太陽に』より(歌詞掲載:歌ネット)

「今日も笑顔で」「前向きに頑張ろう」

そんな言葉に励まされる日があります。一方で、ちょっとまぶしすぎる日もあります。

悪気がないのはわかっている。でも、今の自分にはその元気がない。明るい言葉に触れるほど、明るくなれない自分が取り残されたように感じる。

そんな日に、違う角度から届いてくるのが、今日の言葉です。

明るい歌に、悲しいという言葉がある

『手のひらを太陽に』は、やなせたかしさんが作詞し、いずみたくさんが作曲した歌。NHK「みんなのうた」では、1962年に初めて放送されました。

元気な歌という印象があるのに、歌詞には「かなしいんだ」とあります。

生きているから、楽しい。生きているから、うれしい。それだけではないところに、この言葉の深さを感じます。

PHPの紹介記事では、やなせさんが、つらさや痛さも生きている証であり、喜びより先に悲しみを置いた理由を語っています。

悲しさを、間違った感情として扱っていない。私はそこに、静かな優しさを感じます。

感情まで、きちんとしなくていい

仕事で失敗した。大切な人とうまく話せなかった。楽しみにしていた予定がなくなった。

そんなとき、出来事そのものに加えて、もう一つ自分を責めてしまうことがあります。

「いつまでも気にしている自分は弱い」「もっと前向きにならないと」

悲しいだけでもしんどいのに、悲しんでいる自分にまで注意をしてしまう。心の中に、ずいぶん厳しい上司を置いているものです。

でも、今日の言葉に照らして考えると、少し違う見方ができます。

大切だったから、悲しい。期待していたから、がっかりした。うまくやりたかったから、悔しい。

その感情の奥には、自分が何を大事にしていたのかが隠れているのかもしれません。

言葉は、急かさずに寄り添うこともできる

もちろん、悲しみに必ず意味を見つけなければならないわけではありません。つらい出来事を無理に「いい経験だった」とまとめる必要もないでしょう。

今日の言葉を、私は「悲しみに耐えなさい」という意味ではなく、悲しいままの自分を否定しなくていい、という言葉として受け取りたいと思います。

言葉の力は、人を奮い立たせることだけではありません。止まっている人の隣に座って、「今すぐ元気にならなくてもいい」と伝える力もある。

今日は笑えなかった。それでも、温かいものを飲んで、少し休んで、一日を終えていい。

笑顔ではない一日も、あなたが生きた一日です。